商品番号:1295
ルバースミヤヒラ吟子作 首里花織 訪問着地 未仕立て品
商品詳細
未仕立て品
※サイズに関して、多少の誤差はご了承ください。
ルバースミヤヒラ吟子
ルバース・ミヤヒラ・吟子さんは、首里織七種(首里花織、道屯織、花倉織、諸取切、手縞、煮綛芭蕉布、花織手巾)の技法の全てに精通した、首里織の重要無形文化財保持者(人間国宝)・宮平初子さんの長女として、1950年沖縄県那覇市に生まれ、母である宮平初子さんに師事され、母の下で織物の基礎を習得し、染織を学ばれました。宮平初子さんの極め尽くされた首里織の技法全てを伝授された染織作家として染織の世界へ入られ、精力的に活躍されておられました。
伝統を引き継ぎつつも、フランスで織物の研究をし、独自の感覚を作品に投影され、美しい色彩センスで新しい感覚の作品を創作された、首里織の第一人者でした。
フランスのゴブラン国立製作所に研究員として渡仏し、帰国後、1982年に、母の工房から独立して首里城の近くに自ら工房「アトリエルバース」を開設し、国画会会員としても活躍され、1991年に沖縄県の無形文化財技能保持者に認定されました。
吟子氏は、母より伝統的な技法を受け継いだだけでなく、自らの感性やフランス「ゴブラン国立製作所」での研修で得た経験も活かしながら、新しい今の時代の首里織を発表し続けました。
沖縄県立芸術大学教授も務められ、15年に退官するまで制作と後進の育成、指導にも力を注がれ、琉球染色の調査なども行っておられました。
母である人間国宝・宮平初子さんから受け継いだ多彩な首里織の技術に、フランスの織物の研究で培ったエレガントで都会的な感性を重ね合わせた高雅な着物や帯は、着物ファンを魅了し続けています。
ルバース・ミヤヒラ吟子さんは、2018年12月、惜しまれつつも逝去され、遺された稀少な作品となってしまいました。
1950年 沖縄県那覇市に生れる
1973年 女子美術大学藝術学部卒業、宮平染織工房入所
1977年 宮平染織工房休職、フランスゴブラン国立製作所開発研究室研修
1979年 同上研修終了帰国、宮平染織工房復職
1982年 アトリエ・ルバース開設、沖縄県工芸公募展最優秀賞
1983年 国展会会友優作賞、国画会会員
1986年 沖縄県立藝術大学非常勤講師
1987年 沖展会員、国際服飾学会会員
1988年 沖縄県立藝術大学講師
1990年 沖縄県立藝術大学助教授
1991年 沖縄県指定無形文化財「本場首里の織物」技能保持者認定
1992年 沖縄タイムス藝術選奨大賞
1996年 「空の日」藝術賞
1997年 米国メトロポリタン美術館客員研究員
2003年 沖縄県立藝術大学教授
2016年 沖縄県立芸術大学教授退任記念展
2018年 12月26日 永眠
首里の織物
首里の織物は、約500年にわたる琉球王府時代の首都・首里を中心とする地域で育まれ、伝えられてきた伝統的な染織技法です。
14~15世紀の琉球王国は、東南アジア・中国と盛んに交易を行い、その交流により織の技術を学び、幾百年と積み重ねられ、人々の努力によって沖縄の気候風土に育まれ、独自の発達をとげ、多種多様な琉球織物の個性を生み出しました。
15世紀頃には、インドを源流とする絣技法が、伝えられ、沖縄独自の「手結い絣」の手法も考案され、沖縄の風土を反映した自然や動植物のモチーフ等身近な生活の中から数多くの絣模様が織り出されました。王府は17世紀以後2度にわたり中国から高度な紋織等の技法を導入し、技法とともに繊維や染料も移入されました。
これらの天然繊維と絣・紋織りの二大技法の組み合わせによって、首里の織物は大きく発展しました。
中でも、高度な技術による優れた意匠の織物は、王府の貴族、士族用の衣服として着用されました。
特に花倉織と道屯織は、首里王府の城下町として栄えた首里のみで織られる王族や貴族専用の織物でした。花倉織は先染め紋織物で、黄地、水地、紺地などの無地や濃淡の配色が主流です。道屯織は琉球王朝時代には男性衣として用いられました。道屯織も先染め紋織物で、地色に藍染の配色が多く色彩豊富です。
また、その織手は、ほとんどが士族の妻やその娘たちであり、彼女たちの誇りある手仕事の一つであったといわれています。
「工芸の宝庫」と言われる沖縄で育った、色、柄共に、究極まで追求された格調高く、悠々として麗美な織物は、県下各地で織り継がれ現在に至っています。
「首里織」という名称は首里に伝わる種々の紋織や、絣織物を総称する名称として、昭和58年の通産省伝統産業法指定申請の際、命名されました。
現在、首里の織物は七種類(首里花織、道屯織〈両緞織〉、花倉織、諸取切、手縞、煮綛芭蕉布、花織手巾)の技法が伝えられています。
原材料は絹糸を中心に木綿糸、麻糸、芭蕉糸の素材を用い、首里の織物の特徴でもある鮮やかな色彩の染料には琉球藍、福木、鬱金、テカチ、シブキ、イタジイ、ソウシジュ等の植物染料及び化学染料を用いています。絣については、くくりは手結による絣糸が用いられ、製織は地機及び高機の、投げ杼の手織によって行われます。
現在の首里の織物は、人間国宝 宮平初子さんを筆頭に分業体制を取らず、全工程を一貫した手仕事で行う少量多品種の生産形態を守り続けています。
伝統技法の継承と創作展開を続けてきた首里の織物の需要は多く、着物や帯は県内外で高い評価を受けています。
・首里花倉織
沖縄の織物のうち最も格式の高い織物で、王家の妃、王女が着た夏衣。
花織と絽織を市松、菱形模様または、前後、左右交互に織る。
・首里花織
両面浮花織、緯浮花織、手花織、経浮花織の四種類の紋織を花織と呼ぶ。
士族以上の着衣として用いられた。
・首里道屯織
平織地の中に部分的に糸の密度を濃くして織られるもので両面使用できる。男物官衣として使用された。両緞織も同義語。
・首里絣
巾小結と呼ばれる首里独特の「手結」の技法で、絣の原型とも言われている。
・手縞
手縞とは沖縄の言葉でティジマと呼ばれる絣模様の一つを指す言葉。経緯縞の中に絣の入った織り方。
・綾の中
綾の中のアヤとは沖縄の言葉で縞を意味する言葉。経縞の中に絣柄を配列したもの。
・諸取切
首里絣の代表的な経絣と緯絣の配列。経糸にマシンを起点としてつくる沖縄独特の手法。
・首里ミンサー
変化平織の一種で、緯糸を引き揃えて太く織る畝織と両面浮花織を組み合わせた織物。「ミン」は中国語で「綿」を意味し、「サー」は「狭」のことで「綿狭帯」という小幅物の帯だと解釈されている。
*花織手巾、煮綛芭蕉布(ニーガシーバショウフ)は過去にあった技法ではありますが、現在伝産指定ではありません。
国画会
昭和期における有力な美術団体のひとつです。もともとは京都の日本画団体として始まった国画創作協会の第1部(日本画)が解散され、その第2部(洋画・工芸・彫刻)が名称を「国画会」と改めて国展とよばれる展覧会を発足したことに始まります。国画会は絵画・版画・彫刻・工芸・写真などの美術分野を対象とした美術団体です。
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