商品番号:26
人間国宝 芹沢銈介作 型絵染 小紋地 「草花文」 未仕立て品
商品詳細
未仕立て品
経歴 [編集]
1895年 静岡市本通一丁目の呉服卸商西野屋(現在の日銀静岡支店附近)、大石角次郎の七人兄弟の次男として生まれる
旧制静岡中学卒業
1916年 東京高等工業学校(現在の東京工業大学)工業図案科 を卒業
1917年 静岡市安西一丁目芹沢たよと婚姻、大石姓から芹沢姓となる。
静岡県立工業試験場にて図案指導を担当する傍ら、商業デザインにも従事
1927年 民藝運動の柳宗悦の論文「工芸の道」に影響を受け終生交流。
1928年 御大礼記念国産振興博覧会で沖縄の紅型(びんがた)に出会う
1931年 同年創刊の民藝運動の同人雑誌「工芸」の装丁(型染布表紙)を担当、民藝運動に参加、大半の柳の著書も装丁した。
1935年 東京蒲田に工房を構える
1939年 沖縄で紅型の技法を学ぶ
多摩造形芸術専門学校(現在の多摩美術大学)教授
1949年 女子美術大学教授
1955年 有限会社芹沢染紙研究所 開設
1957年 鎌倉市津村の農家の離れを仕事場(小庵)とする
1976年 フランス政府から招聘されパリで「芹沢銈介展」開催(国立グラン・パレ美術館)
1980年-83年 『芹沢銈介全集』(全31巻、中央公論社)が刊行。
1984年 逝去。享年88。
賞典 [編集]
1956年 型絵染により、4月に人間国宝(重要無形文化財保持者)に指定
1966年 紫綬褒章を受章
1970年 勲四等瑞宝章を受章
1967年 静岡市名誉市民となる。
1983年 フランス政府より芸術文化功労賞を受賞
1984年 逝去、正四位勲二等瑞宝章を贈られる
※サイズに関して、多少の誤差はご了承ください。
芹沢銈介
芹沢銈介さんは、日本の染色工芸家。静岡県静岡市生まれで、静岡市名誉市民。文化功労者。重要無形文化財「型絵染」の保持者。(人間国宝) 民藝運動の共鳴者でもあり、提唱した柳宗悦さんとともに日本各地を訪ねて民芸品や民具を調査をされました。20世紀日本の代表的な工芸家として内外から高く評価されています。
芹沢銈介さんは、明治28(1895)年静岡市葵区本通に生まれました。
東京高等工業学校(現・東京工業大学)工業図案科卒業後、生涯の師である柳宗悦さんと、沖縄の染物・紅型(びんがた)に出会ったことを契機に、型染めを中心とした染色の道を歩み始めます。芹沢さんには色彩と模様に対する天与の才能があり、従来の染色の枠組みにとらわれない、新鮮で創意あふれる作品を次々と制作しました。芹沢さんは非常に多作で、また染色にとどまらない幅広い仕事をしましたが、生涯を通じて明快かつ温和な作風を貫いており、多くの人々に愛好されました。
その評価は国内にとどまらず、昭和51(1976)年にはフランス政府から招聘をうけてパリで大規模な個展を行い大成功をおさめました。同年に文化功労者となり、昭和59(1984)年4月、88歳で惜しまれつつ永眠されました。
型絵染め
型絵染めとは伝統的な型染と異なるもので、1956年(昭和31年)に民藝運動でも有名な人間国宝 芹沢銈介氏の技法が重要無形文化財に指定された際に初めて使用されたものです。
型絵染は、模様の下絵を渋紙という丈夫な和紙にはり、その上から彫って型紙を作ります。
図柄以外の余白部分を切り落とし、できた型紙の上にくり返し糊を置き、連続した模様に合わせて色をさし、染める方法のことです。
図案を起こすところから染色を終え、糊が流されるまで、型絵染は数多くの行程のほとんどを一人で経て完成するものですが、長い染色史の中で各工程の職人たちが技術を磨き、型絵染文化を高めてきました。
作家独自の世界観、絵画的表現を追求する独創的な作品は、緻密で繊細な紋様を描き、型の持つキレの良さや鋭さ、くり返しの模様のおもしろさが見所です。
国画会
昭和期における有力な美術団体のひとつです。もともとは京都の日本画団体として始まった国画創作協会の第1部(日本画)が解散され、その第2部(洋画・工芸・彫刻)が名称を「国画会」と改めて国展とよばれる展覧会を発足したことに始まります。国画会は絵画・版画・彫刻・工芸・写真などの美術分野を対象とした美術団体です。

人間国宝 羽田登喜男作 留袖
人間国宝 山田貢作 訪問着地 未仕立て品
人間国宝 平良敏子作 重要無形文化財 喜如嘉 芭蕉布 九寸名古屋帯地 未仕立て品
人間国宝 小川善三郎作 献上博多織 八寸名古屋帯
人間国宝 森口華弘作 綴れ 八寸名古屋帯
人間国宝 福田喜重作 道行コート
森口華弘作 訪問着地 未仕立て品
人間国宝 玉那覇有公作 本紅型染 小千谷紬 九寸名古屋帯地 「牡丹文様」 未仕立て品
