商品番号:3175
人間国宝 宮平初子作 首里花織 九寸名古屋帯
商品詳細
重要無形文化財保持者(人間国宝)
国画会会員
仕立て上がり品
長さ約373㎝、巾31㎝
※サイズに関して、多少の誤差はご了承ください。
宮平初子
首里織の種類は、首里絣・首里ミンサー・首里花織(はなおり)・道屯織(どうとんおり)・花倉織(はなくらおり)など分けられ、城下町として栄えた首里では格式高い優雅な織物として昇華されます。
首里織は女流階級の氏族の女性たちによって受け継がれていき、その家々で門外不出の織物として大切に守られていました。
その中でも宮平初子さんが制作されていたものは、琉球王朝時代に王妃や王女が夏用の衣類として着ていた花倉織です。
花倉織はトンボの羽やセミの抜け殻と表現されるほど生地が薄く透き通り、大変軽くて美しいと評される着物です。
宮平初子さんの作品の最大の特徴は、他に類を見ない色やデザインにあります。沖縄の自然から抽出した藍・赤・黄・緑などの色を大胆に使い、他の着物作品ではあまり見かけない組み合わせの色味を使ってグラデーションが織り込まれています。
また、幾何学模様を多く用いた、琉球織物の伝統の柄に囚われないエスニック調のデザインも特徴と言えます。
宮平初子さん自身の感性を最大限に活かし、自由な発想で独創的な着物を次々と生み出しています。
人の目を一気に引きつける意匠は、幅広い世代の着物愛好家の心を掴んで離しません。
また複数の模様が段違いに表現されていることも、宮平初子さんのオリジナリティあふれるポイントです。
1922(大正11)年11月0歳那覇市首里に、父比嘉朝光さん、母静子さんの長女として誕生。
1939(昭和14)年3月16歳沖縄県立女子工芸学校を卒業される。
この年、日本民芸協会一行が沖縄の工芸調査に訪れ、学校の推薦により柳宗悦館長に伴われ上京し、日本民芸館に研修に赴かれます。
柳悦孝染織研究所では植物染色および紋織りの指導を受けられます。
1969年に第43回国展国画賞受賞。
1970年に「宮平織物工房」を首里に開き、首里織の技術継承と技術者の育成に努めます。
1974年に沖縄県指定無形文化財「本場首里の織物」保持者に認定され、保持者団体の代表として講習会を開くなど後継者育成に尽力されました。
1998年に県内から3人目、女性初の重要無形文化財「首里の織物」の保持者(人間国宝)に認定され、宮平初子さんは誰もが認める偉大な織物作家としての名をはせました。
首里の織物
首里の織物は、約500年にわたる琉球王府時代の首都・首里を中心とする地域で育まれ、伝えられてきた伝統的な染織技法です。
14~15世紀の琉球王国は、東南アジア・中国と盛んに交易を行い、その交流により織の技術を学び、幾百年と積み重ねられ、人々の努力によって沖縄の気候風土に育まれ、独自の発達をとげ、多種多様な琉球織物の個性を生み出しました。
15世紀頃には、インドを源流とする絣技法が、伝えられ、沖縄独自の「手結い絣」の手法も考案され、沖縄の風土を反映した自然や動植物のモチーフ等身近な生活の中から数多くの絣模様が織り出されました。王府は17世紀以後2度にわたり中国から高度な紋織等の技法を導入し、技法とともに繊維や染料も移入されました。
これらの天然繊維と絣・紋織りの二大技法の組み合わせによって、首里の織物は大きく発展しました。
中でも、高度な技術による優れた意匠の織物は、王府の貴族、士族用の衣服として着用されました。
特に花倉織と道屯織は、首里王府の城下町として栄えた首里のみで織られる王族や貴族専用の織物でした。花倉織は先染め紋織物で、黄地、水地、紺地などの無地や濃淡の配色が主流です。道屯織は琉球王朝時代には男性衣として用いられました。道屯織も先染め紋織物で、地色に藍染の配色が多く色彩豊富です。
また、その織手は、ほとんどが士族の妻やその娘たちであり、彼女たちの誇りある手仕事の一つであったといわれています。
「工芸の宝庫」と言われる沖縄で育った、色、柄共に、究極まで追求された格調高く、悠々として麗美な織物は、県下各地で織り継がれ現在に至っています。
「首里織」という名称は首里に伝わる種々の紋織や、絣織物を総称する名称として、昭和58年の通産省伝統産業法指定申請の際、命名されました。
現在、首里の織物は七種類(首里花織、道屯織〈両緞織〉、花倉織、諸取切、手縞、煮綛芭蕉布、花織手巾)の技法が伝えられています。
原材料は絹糸を中心に木綿糸、麻糸、芭蕉糸の素材を用い、首里の織物の特徴でもある鮮やかな色彩の染料には琉球藍、福木、鬱金、テカチ、シブキ、イタジイ、ソウシジュ等の植物染料及び化学染料を用いています。絣については、くくりは手結による絣糸が用いられ、製織は地機及び高機の、投げ杼の手織によって行われます。
現在の首里の織物は、人間国宝 宮平初子さんを筆頭に分業体制を取らず、全工程を一貫した手仕事で行う少量多品種の生産形態を守り続けています。
伝統技法の継承と創作展開を続けてきた首里の織物の需要は多く、着物や帯は県内外で高い評価を受けています。
・首里花倉織
沖縄の織物のうち最も格式の高い織物で、王家の妃、王女が着た夏衣。
花織と絽織を市松、菱形模様または、前後、左右交互に織る。
・首里花織
両面浮花織、緯浮花織、手花織、経浮花織の四種類の紋織を花織と呼ぶ。
士族以上の着衣として用いられた。
・首里道屯織
平織地の中に部分的に糸の密度を濃くして織られるもので両面使用できる。男物官衣として使用された。両緞織も同義語。
・首里絣
巾小結と呼ばれる首里独特の「手結」の技法で、絣の原型とも言われている。
・手縞
手縞とは沖縄の言葉でティジマと呼ばれる絣模様の一つを指す言葉。経緯縞の中に絣の入った織り方。
・綾の中
綾の中のアヤとは沖縄の言葉で縞を意味する言葉。経縞の中に絣柄を配列したもの。
・諸取切
首里絣の代表的な経絣と緯絣の配列。経糸にマシンを起点としてつくる沖縄独特の手法。
・首里ミンサー
変化平織の一種で、緯糸を引き揃えて太く織る畝織と両面浮花織を組み合わせた織物。「ミン」は中国語で「綿」を意味し、「サー」は「狭」のことで「綿狭帯」という小幅物の帯だと解釈されている。
*花織手巾、煮綛芭蕉布(ニーガシーバショウフ)は過去にあった技法ではありますが、現在伝産指定ではありません。
国画会
昭和期における有力な美術団体のひとつです。もともとは京都の日本画団体として始まった国画創作協会の第1部(日本画)が解散され、その第2部(洋画・工芸・彫刻)が名称を「国画会」と改めて国展とよばれる展覧会を発足したことに始まります。国画会は絵画・版画・彫刻・工芸・写真などの美術分野を対象とした美術団体です。

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