商品番号:3294
齋藤光司作 唐桟織 綿着物
商品詳細
仕立て上がり品
身丈肩約162、裄64、袖丈49、前巾23、後巾28㎝
※サイズに関して、多少の誤差はご了承ください。
齋藤光司
唐桟織は、江戸時代後期に行われた「天保の改革」により大流行しました。
安土桃山時代にオランダやポルトガルから伝わった、舶来ものを意味する「唐」が組み合わさり唐桟織と呼ばれるようになったといわれています。
現在では館山を代表する織物で、館山に伝わったのは明治の初めごろと言われています。
当時、明治維新によって多くの武士が失業、その武士に職業訓練を行う「東京授産所」で川越の職人から唐桟織の技術を教わった齊藤茂助が館山に移り住み、唐桟織の工房を開きます。
その後、唐桟織は「民芸運動」の父、柳宗悦が絶賛し、全国に知られるようになりました。
昭和47年には文化庁の無形文化財に、昭和59年には千葉県の伝統的工芸品に指定されました。
齋藤光司さんは茂助の孫にあたり、宗悦の甥の柳悦孝の内弟子として、11年間修行した後、父の豊吉より一子相伝で伝わる唐桟織を学び、制作されていました。
現在は唐桟織の伝統を引き継いでいるのはご子息の齊藤裕司さんのみとなっています。
裕司さんは、門外不出の技術をすべて公開し、唐桟織の魅力を広く発信し続けています。
唐桟織
唐桟(とうざん)とは、室町時代頃から日本にもたらされた、紺地に朱、灰、青、茶などの縦縞が入っている織物のことです。
特徴は、細い綿糸を2本づつ引きそろえた双子糸で平織することで、木綿なのに絹の様な風合いをもってることです。
また、つくるのにも大変手間と時間のかかり、唐桟は美しくそして高価なものでした。それ故、庶民の手に届くものではありませんでした。
唐桟という名前は、インドの西海岸にあるの港の名前「セント・トーマス」からきています。「セント・トーマス」がなまり「サントメ」と呼ばれ、その港から唐渡りした織物なので「唐桟留(からさんとめ)」や「唐桟」と呼ばれました。
縞は代々伝わるものから新たに作られたものまで約130種ほどあります。
江戸時代半ば~末期にかけてこの色感や質感が江戸の庶民に大流行し、その後の日本の綿織物に影響を与えたといわれています。
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