商品番号:354
人間国宝 喜多川平朗作 羅 八寸名古屋帯
商品詳細
日本工芸会正会員
仕立上がり品
1898-1988 昭和時代の染織工芸家。
明治31年7月15日生まれ。京都西陣織の老舗(しにせ)俵屋の17代目。正倉院裂(ぎれ)などの古典染織の研究と復元につとめる。昭和31年羅(ら)で,35年有職(ゆうそく)織物で人間国宝。昭和63年11月28日死去。90歳。京都市立絵画専門学校(現京都市立芸大)卒。本名は平郎。作品に「斑金錦牡丹唐草文帯」など。
※サイズに関して、多少の誤差はご了承ください。
喜多川平朗
喜多川平朗さんは、明治31年、京都西陣の俵屋に生まれました。俵屋は代々織物を作り、江戸末期には有職織物も手がけるようになった西陣の由緒ある機屋です。画家志望でしたが、のちに家業を継ぐため、父の元で修行、昭和2年俵屋17代目を継がれました。昭和3年昭和天皇即位大典儀式用の装飾、装束織物の製織をはじめ、宮中や神宮、神社などの織物も多く手がけられ、また昭和初年より古代染織品の復元模造事業にも製織主任として携わり、第2次大戦後は羅の復元に尽力されました。昭和31年に「羅」で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定、さらに昭和35年「有職織物」においても重要無形文化財保持者に認定され、昭和63年に90歳で亡くなられましたが、18代俵二さんも親子二代にわたり、重要無形文化財保持者に認定されています。
西陣
「西陣」は西陣織工業組合の登録商標です。
西陣という行政区域はありませんが、いわゆる西陣地区といった場合、上京区・北区を中心に、おおよそ南は丸太町通、北は上賀茂、東は烏丸通、西は西大路通に囲まれたあたりを指します。
「西陣」の名は、応仁の乱(1467年-1477年)の際に西軍総大将である山名宗全らが堀川よりも西のこの土地に陣を構えたことに由来します。
西陣織にたずさわる業者は、こうした京都市街の北西部を中心に集積しています。
西陣織とは、「多品種少量生産が特徴の京都(西陣)で生産される先染(さきぞめ)の紋織物」の総称です。
昭和51年2月26日、国の伝統的工芸品に指定されました。
西陣の織屋は、平安朝以降連綿と積み重ねられてきた高い技術の錬磨に加えて、優れたデザイン創作のため、創造力や表現力への努力を重ね、「大舎人の綾」「大宮の絹」などと呼ばれる織物が作られ、また独自の重厚な織物は寺社の装飾に使用されてきました。
帯などの西陣織の製品には、証紙番号と呼ばれる組合員番号が付されています。これは西陣織工業組合の組合員一社一社に付されている固定番号です。
以前は他産地との区別化のため産地証明がなされていましたが、この番号が証紙に入ることによって、その製品がどこの織元で織られたものかがわかるようになりました。
この組合員番号がいつから始まったものであるかは、実は定かではありませんが、現在の西陣織工業組合の設立(昭和48年)より前の旧組織のもと、昭和20年代後半には既に存在していたようです。
また、番号は、必ずしも織元の古い順に付されているわけではなく、なかには古い織元でも、任意に二桁や三桁の番号を選ばれているところがあるようです。
日本工芸会
日本工芸会は、重要無形文化財保持者(人間国宝)を中心に、伝統工芸作家や技術者などで組織されている日本の公益社団法人です。現在は、工芸分野重要無形文化財保持者を含めて正会員役1,200名が所属しています。「日本伝統工芸展」は日本工芸会が文化庁とNHK、朝日新聞社と主催する、日本の優れた伝統工芸の保護と育成を目的にした公募展です。昭和29年から1年に1回開催しており、日本工芸の技と美が集結する場となっています。他にも人間国宝を講師とする伝承事業や記録保存などを行うなど、無形文化財の保存や伝承および公開に関する事業を進め、その実績は他に比較するもののない唯一の組織です。

人間国宝 福田喜重作 刺繍 訪問着
人間国宝 福田喜重作 刺繡 訪問着
人間国宝 北村武資作 袋帯 「雲流紋」
人間国宝 羽田登喜男作 訪問着
人間国宝 土屋順紀作 紋紗 九寸名古屋帯地 「流紋」 未仕立て品
人間国宝 山田貢作 訪問着
人間国宝 木村雨山作 本加賀友禅 訪問着
人間国宝 玉那覇有公作 本紅型染 藍型 小紋
