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商品番号:3983

田畑喜八作 訪問着 

お譲りしました

商品詳細

仕立て上がり品

身丈肩 167cm 裄 68cm 袖丈 49cm 前巾 25cm 後巾 30cm

鼠色の地に、茶屋辻や、草木、小花などのお庭の情景を藍染の濃淡で描いた、見ていて心が安らぐような京友禅のお着物です。

※サイズに関して、多少の誤差はご了承ください。

地色: 薄墨色
明るい灰。

※書籍版「定本 和の色事典」にて色合わせを行っております。リンク先の色と実物は異なる場合がありますのでご注意下さい。

田畑喜八

手描京友禅の染匠の名家として約200年の歴史を誇る田畑家。初代喜八氏は日本画を基礎とした田畑家独自の技法で京友禅に新風を吹き込んだ作品を創出し、昭和30年には三代喜八氏が重要無形文化財「友禅」保持者・人間国宝に指定されています。
京友禅を手掛ける染屋として、田畑家では「藍の濃淡・摺疋田・縫い箔」を得意としてものづくりをされ、中でもライフワークとして手がける“茶屋辻染め”は独特の藍彩の美しさが際立ち、伝統的な古典文様を個性的に演出した品格のある粋を感じさせる作品となっており、江戸時代から大切に使い続ける「藍の墨棒」で加筆することで図柄に陰影を添え、藍の濃淡を基調とした気品あふれる、格調高い、優雅でありながら芯に力強さのある着物を作り上げています。茶屋辻とは、江戸初期に徳川家出入りの呉服商であり、染屋であった茶屋四郎次郎が創案したと言われ、江戸時代の徳川将軍家と御三家のみに着用が許された奈良晒という麻の生地に藍の染料の濃淡で作った染物を言います。奈良晒は、今とは違い奈良で特別に栽培し、「一本の茎から一本しか採れない」という細い糸を使って織らせた麻で、今では越後上布や近江上布として普及しているものです。また、京友禅の「差す」色の多彩さは世界の染色の中でも類を見ないと言われており、「田畑家コレクション」という、田畑家が着物を作る際に使う膨大な色の生地が貼られた見本帳が田畑家の財産として受け継がれています。

田畑家は初代喜八以降、喜八は田畑本家を継承する者が名乗り得ます。
初代 喜八は、文政年問、日本画家を志し上京し、京都で日本画を望月玉泉・鈴木百年に学び文政8年小房屋の屋号で初代は“小房屋喜八”を名乗り、染色業を創業しました。主に御所、二条城を中心とした奥方、姫君の御衣料を承る誂染師として活躍されました。明治時代以降に田畑を名乗りました。
二代 喜八(幼名 貴松)は、鈴木松年に弟子入りして日本画の勉強から始め、初代の染屋を継ぎました。
三代 喜八は人間国宝に指定され、四代、現在の五代 喜八氏に引き継がれております。
三代目は絵画的、写実的表現を得意とし、五代目は着物のサイズを生かしたダイナミックな友禅の構図と色数が少ないという作風があります。
滋賀県高島郡の出の初代 喜八氏が文化文政時代に絵描きになりたいと一念発起し、京都で日本画を望月玉泉と鈴木百年に学んで日本画家を志して上京し、1825年に小川通りに染屋を開いたのが後に五代にまで受け継がれる田畑喜八の始まりです。
京都は素晴らしい水に恵まれていたため茶道や清らかな水を使う染物、織物が発展しました。またこの場所は、徳川将軍家を中心とした二条城、天皇を中心とした御所があり、御所と二条城の奥方や姫君の御衣料を受け賜わり、誂染師として活躍していた事が更に染屋や織屋が大きくなった要因ともなっています。
二代 喜八氏は鈴木松年さんについて日本画の勉強から始め、染屋を継ぎました。この頃、公家や元武家から「姫の嫁入り道具に着物を」と依頼を受け作ったものの先方が代金を支払えず、代わりにと代々家に伝わる小袖等を田畑家に持ち込んだことから田畑家コレクションが始まります。
三代 喜八氏は幸野楳嶺さん。先輩の竹内栖鳳さんに師事し、同門の上村松園さん等と共に絵描きの道を目指しました。しかし20代に父親の二代喜八氏が亡くなり、一族の名を絶やさないために染の世界に入りました。この三代喜八氏が勉強家で染屋の道に進んでからは「職業意識」を持ってよりよい作品を作りだすために、染の参考資料として配色、模様、構図、技術すべてに優れているものという厳しい観点で選び抜いた古代衣裳の蒐集に力を注ぎました。これが「田畑家コレクション」を更に素晴らしいものにしていきました。これらは何百年と言う時間を経ても色褪せずに残っており、「染屋の目を通し、美術家の目を通して選別したもの」として現在では数百点以上に上り、大変貴重で価値あるものです。職人としても、蒐集家としても全力で生き抜いた三代喜八氏は、1955年に人間国宝に認定され、翌56年に79歳で亡くなりました。
四代喜八氏は芝居好きで大学生の時には自ら劇団を主宰、環境が許せば多分役者を目指したであろう人でした。しかし卒業後は、染屋に生涯をかける父の姿を見て、決然と夢を捨て、家業を継ぎ、貴重な田畑家コレクションを引き継いで、描く事、染める事に誠心誠意打込みました。
父である四代喜八氏に厳しく指導されたのが現五代喜八氏です。

お召しになる人が「華主」として一番美しく輝いて見えるように最大限の力を尽くしてものを作ることを仕事とする五代 田畑喜八氏。
本名は田畑禎彦、1935年3人兄弟の長男として京都に生まれました。小学生の時に集団疎開を体験し、中学生の時には、武道を心得、高校は、嵯峨野高校に進学。自ら柔道部を作り主将を務め、その情熱と義理人情に厚い性格から生徒の信頼を集め生徒会長も務めました。
高校卒業後、京都から飛び出し、早稲田大学第一文学部美術専修に進みます。 東京に出た事でたくさんの出会いと様々な職種を経験しました。卒業後は京都に戻り、改めて京都市立美術大学日本画科に進学し日本画を描く為の勉強を徹底し、ひたすら父の下で写生の実習を行い、1995年に「五代田畑喜八」を襲名しました。 五代を襲名するに当たり「10点」の茶屋辻の製作を自分に課し、藍の濃淡を基調とする気品あふれる格調高い着物を作り上げ、この作品には優雅さの中に五代喜八氏が秘める力強さが込められていると評判を取りました。
「古典的な柄でありながらそれを現代に息づくものに作っていく」五代喜八氏のセンスを、実際に手に取り、肌で感じてみてはいかがでしょうか。

京友禅

京友禅とは、京都で製造されている友禅で、1976年には、経済産業省指定伝統的工芸品にも指定されました。 京友禅は、日本三大友禅の1つとして、今も多くのファンに愛されています。
「図案には花鳥風月や有職文様などの文様調のものが用いられる」「基調の色が決まっておらず多くの色を使用した鮮やかな色合いである」「金銀箔が施されている」ことが特徴です。糊を使って筆で色付けする際に滲んで色移りすることを防ぐ 「糸目糊」という技術が用いられています。
京友禅は、製造過程が非常に手間がかかり、技術力が要求されるため、高級な染め物として知られています。京都の染物業者が中心になって伝承されてきた技術であり、現在でも継承され、多くの人々に愛されています。



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