商品番号:2030
国画会会員 柚木沙弥郎作 型絵染 絽 紬九寸名古屋帯
商品詳細
国画会会員
仕立て上がり品
長さ約373㎝ 巾31,5㎝
※サイズに関して、多少の誤差はご了承ください。
柚木沙弥郎
1922年、東京生まれ。
女子美術大学名誉教授。
洋画家の父を持ち、東京大学で美術史を学ぶが、戦争で勉学が中断され、戦後、父の郷里である岡山県の倉敷にある大原美術館に勤務。そこで民藝運動を牽引する柳宗悦らと親交を持つようになり、その後、芹沢銈介に師事し、型染めを手がけるようになりました。
布への型染めの他、さまざまな版画やガラス絵などの作品にも挑戦し、絵本やポスターの制作、装丁やイラストレーションなど幅広いジャンルで活躍。1958年に型染め壁紙がベルギーのブリュッセル万国博覧会で銅賞、1990年に第1回〈宮沢賢治賞〉を受賞。国内にとどまらず、2008年よりパリで個展を開催。2015年にフランス国立ギメ東洋美術館に多くの作品が収蔵されました。
柚木沙弥郎(ゆのきさみろう)は、型染の第一人者ですが、型染・その他の技法による絵も手がけ、近年では絵本や版画、また、お面や人形などの立体作品も発表されています。
1922年(大正11年)10月17日、東京府東京市滝野川区(現在の東京都北区)田端で洋画家の柚木久太の次男として生まれる。柚木家は岡山県倉敷の旧家であり、祖父の柚木玉邨は南画家として活躍した。
1942年(昭和17年)、東京帝国大学文学部美学・美術史科に入学。同級生には柳宗玄がいた。
1943年(昭和18年)、学徒動員される。
1945年(昭和20年)静岡県の大井海軍航空隊で終戦を迎え、父親の郷里・倉敷に復員した。
1946年(昭和21年)、岡山県にある「大原美術館」に勤務。初代館長・武内潔真から「民藝運動」の提唱者である柳宗悦の著書を自由に借りて読んだ。芹沢銈介の和紙型染カレンダーに魅せられ感銘を受け、染色家を志した。
1947年(昭和22年)、大原美術館を退職し東京帝国大学に復学したが、のちに中途退学した。そして芹沢に弟子入りし、修行の一環として静岡県由比町(現在の静岡市)の正雪紺屋に住み込み、染色の技法を学んだ。
1948年(昭和23年)、初作品「紅型風型染布」を制作した。
1950年(昭和25年)、女子美術大学工芸科専任講師に就任し、芹沢主宰の染色家集団萌木会に入会。
1953年(昭和28年)には国画会会員となる。
1955年(昭和30年)、東京銀座のたくみ工芸店画廊で初の個展を開催し、以後個展やグループ展を多数開催している。
1967年(昭和42年)にはヨーロッパを歴訪。
1972年(昭和47年)女子美術大学教授に就任。
1984年(昭和59年)、日本民藝館評議員に就任。
1987年(昭和63年)、女子美術大学・女子美術短期大学の第7代学長に就任。
1991年(平成3年)に退職。
2023年(令和5年)に100歳を超えても染色を続けていた。
2024年(令和6年)1月31日、東京都渋谷区の病院でうっ血性心不全のため死去。101歳没。
101歳まで現役のアーティストを貫いた。
型絵染め
型絵染めとは伝統的な型染と異なるもので、1956年(昭和31年)に民藝運動でも有名な人間国宝 芹沢銈介氏の技法が重要無形文化財に指定された際に初めて使用されたものです。
型絵染は、模様の下絵を渋紙という丈夫な和紙にはり、その上から彫って型紙を作ります。
図柄以外の余白部分を切り落とし、できた型紙の上にくり返し糊を置き、連続した模様に合わせて色をさし、染める方法のことです。
図案を起こすところから染色を終え、糊が流されるまで、型絵染は数多くの行程のほとんどを一人で経て完成するものですが、長い染色史の中で各工程の職人たちが技術を磨き、型絵染文化を高めてきました。
作家独自の世界観、絵画的表現を追求する独創的な作品は、緻密で繊細な紋様を描き、型の持つキレの良さや鋭さ、くり返しの模様のおもしろさが見所です。
国画会
昭和期における有力な美術団体のひとつです。もともとは京都の日本画団体として始まった国画創作協会の第1部(日本画)が解散され、その第2部(洋画・工芸・彫刻)が名称を「国画会」と改めて国展とよばれる展覧会を発足したことに始まります。国画会は絵画・版画・彫刻・工芸・写真などの美術分野を対象とした美術団体です。

国画会会員 柚木沙弥郎作 型絵染 九寸名古屋帯
国画会会員 柚木沙弥郎作 型絵染 紬九寸名古屋帯
国画会会員 柚木沙弥郎作 型絵染 紬九寸名古屋帯
国画会会員 柚木沙弥郎作 型絵染 紬九寸名古屋帯 「萌芽を求めて」
国画会会員 柚木沙弥郎作 型絵染 縮緬九寸名古屋帯地 未仕立て品
国画会会員 柚木沙弥朗作 型絵染 紬九寸名古屋帯
国画会会員 柚木沙弥郎作 型絵染 紬九寸名古屋帯地 未仕立て品
