商品番号:1131
人間国宝 宗廣力三作 郡上紬 着尺 未仕立て品
商品詳細
重要無形文化財保持者(人間国宝)
日本工芸会正会員
未仕立て品
長さ 12m02cm 巾 36cm
※サイズに関して、多少の誤差はご了承ください。
宗廣力三
1914年 岐阜県郡上郡八幡町(現・郡上市)に生まれた宗廣氏は、類まれな積極性と指導力をを持ち、内陸部の土地で、郡上郡青年団理事として地元の若者を義勇軍として育て、大陸満洲へと世の中の気運が高まっていた折には満洲開拓へ若者を送り出す事にも尽力されました。
戦前から戦中、青年団「凌霜塾(りょうそうじゅく)」を指導し、戦争が終わって1946年頃から引き上げが始まり、戻ってきた人々が住む家も就く仕事もないという厳しい状況を目にして開拓農地を開き、皆を受け入れ、多くの人が関わることができ収入につながりやすい機織りを勧められ、紬織を地場産業にと尽力するなかで、「争いの種にならない仕事」「生産過剰にならない仕事」「いつの時代にも通用する仕事」を、との想いを郡上紬の再生に託し、郡上の奥地那留ヶ野を開墾しながら、その一方でご自身も郷土研究にいそしみ、農家に残る縞帳などを調査して紬づくりを探り、奔走されました。
それまでにも郡上地方では養蚕も機織りも行われていましたが、地元の人々のために織られるような地織的なものを改良され、京都の染織試験場長の指導を受け、より良いものへと変えていかれました。
今では大変貴重な紬と称されるようになった郡上紬は、その昔、郡上の農家で織られていた自家用紬でしたが、昭和に入ると衰退して行きました。宗廣氏は、一度は消えかけたこの素朴な郡上紬を再生し、新たな技法を生み出し今日の郡上紬を創りました。
京都市染織試験場長浅井修吉に染料についての指導を請い、天然染料と絣を研究し、郡上郡那留ケ野で大平開拓農場を営みながら、古い縞帳や手織機から紬織を研究されました。
1952年、地元の蚕からとれる真綿の糸を地元の草木で染め手織りで織る伝統的な紬の創作が「郡上工芸研究所」として本格的に始まりました。紬の質改良のためインドのエリ蚕と羊を飼育し自ら糸をとったり、家蚕の手紡糸、玉糸に一部エリ蚕を使われたり、実験的な織りや染めを試み、「どぼんこ染」や「初がすり」など独自の紬を生み出されました。京都の陶芸家・河合寛次郎氏を訪ねて作品を見せて指導を仰ぎ、京都の老舗呉服屋さんと取引を始められたり、白洲正子さんの「こうげい」でも作品を扱われたりと、多方面へ活躍の場を広げられ、陽の当たらない未知の世界に一歩を踏み出してから、永年にわたる努力の末、紬縞織・絣織で1982年に国の重要無形文化財技術保持者=人間国宝に認定されました。紬では初めての個人指定でした。
こうして郡上紬の名は、宗廣氏の活躍とともに広く知られるところとなりました。紬縞織と絣織の直線や幾何学模様の着物は、民芸と言えども、とても知的で現代的な印象を受けます。タテとヨコの方向性を基調とした端整な構図と紋様に、微妙な濃淡と繊細な色彩感覚による染色を施した優品を、数多く残されました。
また、宗廣氏の作品は着物としてはめずらしく、鎌倉近代美術館にて展覧会が催されるほど美術品としての高い評価を得ています。
その後も個展などをされながら、日本伝統工芸展にも出品されご活躍されました。1980年に体調の面から工房を神奈川県に移され、門下生とともに同地方の草木を染料とした「足柄紬」を創り出されました。
伝統的でありながら古くなく、しかしながら伝統に基づいて創作されたものが持つ力強さと輝き、色のときめきがあり、一目見てそれとわかる個性のあるものが「郡上紬」です。
長きに渡る研究と創作を続けてその世界を確立された宗廣力三氏。
1989年、75歳で亡くなるまで、終生、紬の研究と後進の育成に尽力されました。
1914年 岐阜県郡上郡に生まれる。
1932年 岐阜県立郡上農林学校を卒業する。
1937年 青年の修養道場凌霜塾の主事として塾生の指導にあたる。
1938年 大日本青少年独逸派遣団員として渡欧、ドイツを中心に半年間各地を巡遊する。
1952年 開拓農場内に「郡上郷土芸術研究所」を設立。
1958年 「郡上工芸研究所」と名を改め、生まれ故郷の初音に工房を移転し、生活をともにしながら染織を教える場を開いた。
1958年 中央公論画廊で初の個展郡上織展を開催し、翌年には河井寛次郎氏の推薦で京都高島屋で第2回個展を開催。
1961年 岐阜県芸術選賞。
1965年 第12回日本伝統工芸展に「紬織着物・素」「紬織着物・やすらぎ」、同年の第2回伝統工芸日本染織展に「エリ蚕紬・残光」「エリ蚕紬・たそがれ」「エリ蚕紬・早春」がともに初入選。
1965年 岐阜県芸術文化賞。
1968年 岐阜県知事表彰を受賞。
1968年 郡上染織資料館を開館、内外の染織資料を展示。
1967年 第4回伝統工芸日本染織展で「紬格子着物」が東京都教育委員会長賞、 を受賞。1968年 第5回伝統工芸日本染織展で「紬織着物・待春」が文化財保護委員会委員長賞を受賞。
1969年 日本工芸会正会員となる。
1970年 第17回日本伝統工芸展「紬織着物・流動文」が日本工芸会長賞を受賞。
1972年大阪の阪急百貨店で個展開催。
1977年岐阜県無形文化財保持者に指定される。
1980年 健康上の理由から神奈川県南足柄市に移り、「南足柄工芸研究所」を開設。
1982年 八幡町名誉町民章を受賞。
1982年 紬縞織、絣織により国の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。
1983年の東京銀座和光での個展開催。アメリカ各地を巡回した「人間国宝米国展」、東京国立近代美術館「伝統工芸30年の歩み」展に出品。
1985年 東京国立近代美術館で開催された「現代染織の美-森口華弘・宗廣力三・志村ふくみ」展に26点を出品。
1986年 画集『宗廣力三作品集』(日本経済新聞社)が刊行されている。
1989年 ジン不全のため神奈川県小田原市の小田原市立病院で死去。享年75。
郡上紬
郡上紬の特徴として第一に上げられるのは、その着心地の良さです。
郡上紬は暖かさと柔らかさ、そして肌触りの良さが申し分のない織物と言えます。
郡上紬独特の縞織と絣織を繰り返して織り上げます。
大量生産はされてないので愛好家のあいだでは「幻の紬」とされています。そして「宗広力三」という人間国宝を生み出した郡上紬は日本の伝統美です。
現在では継承者もわずかになり伝統工芸の域になってしまいました。とても希少な逸品です。
極上の着心地を身につけて極上のお出かけを楽しんでみてはいかがですか。
日本工芸会
日本工芸会は、重要無形文化財保持者(人間国宝)を中心に、伝統工芸作家や技術者などで組織されている日本の公益社団法人です。現在は、工芸分野重要無形文化財保持者を含めて正会員役1,200名が所属しています。「日本伝統工芸展」は日本工芸会が文化庁とNHK、朝日新聞社と主催する、日本の優れた伝統工芸の保護と育成を目的にした公募展です。昭和29年から1年に1回開催しており、日本工芸の技と美が集結する場となっています。他にも人間国宝を講師とする伝承事業や記録保存などを行うなど、無形文化財の保存や伝承および公開に関する事業を進め、その実績は他に比較するもののない唯一の組織です。

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